2011年 12月 23日
新選組京都巡礼記2011冬その1
1日目

新幹線であっという間に京都へ
お昼前くらいから観光モードになれました。
■伏見稲荷

大河新選組!のOPにも出てきた千本鳥居のある伏見稲荷
全国のお稲荷さんの総本山です。
おキツネ様好きのくぬーは写真送ったら小躍りしてくれてました。
幕末史には直接関係ないですが、千本鳥居の壮観な眺めは見る価値あり。




■墨染

近藤局長が御陵衛士残党に狙撃されたという墨染です。
後で調べたら石碑もあったぽいんですが、今回は省略。
■伏見奉行所

鳥羽伏見の戦で、新選組を含む幕府軍は伏見奉行所等に入り、
隣の御香宮に陣を張った官軍と対峙しました。
この戦いで伏見奉行所は燃えて無くなってしまい今は跡碑が残るのみです。
古地図で見るとかなり広い敷地であったと思われます。
ちょうどここを訪れたときに風花が降って来てちょっと幻想的でした。
斎藤さんのテーマ曲(風花)とか思い出してキャーキャーいってたアホが居たのは内緒です。
■龍雲寺

薩摩軍が大砲を構え、高低差で伏見奉行所まで飛ばしたとの事
今は平和な住宅街でした。

■三十三間堂

幕末あんまし関係ないですが、京都来たら必ず立ち寄る三十三間堂
仏様が本当にわらわらいます。壮観なのでおすすめ。
とっても癒されます。
今年の冬は紅葉が結構残っていて、京都ぽい写真がとれました。
■京都リーガロイヤル前石碑

慶応3年6月15日に移転。新選組三番目の屯所のあった不動堂村付近
記念碑はリーガロイヤル京都前にありますが
詳しい位置は不明です。
■西本願寺


日没まで多少時間があったので宿近辺をうろうろ。
まずは新選組二番目の屯所となった西本願寺。
屯所の建物自体は明治初期に姫路の亀山本徳寺に移築してしまったので
当時の遺溝は太鼓楼ぐらい。
晩年ここの守衛をしていた島田さんを偲びながら境内とそのへんをうろうろ。

■天満屋跡

坂本龍馬暗殺後、紀州藩士三浦休太郎が関連している噂が立ち、
新選組が三浦の護衛に当たっていたのが天満屋。
慶応3年12月7日、ここに陸奥宗光ら(海援隊・陸援隊)が奇襲を掛けたのが天満屋事件です。
警護に当たっていたのは斎藤一、大石鍬次郎などで、
三浦は怪我を負ったものの命は助かり、近藤の従兄弟がこの事件で死亡したとされています。
■北小路の変跡
天満屋襲撃の報を聞きつけ、不動堂村の屯所から新選組の応援部隊が駆けつけ、
西本願寺からも紀州藩の応援部隊が駆けつけたものの、
お互い敵と勘違いし、油小路北小路で斬り合いになってしまったのがこの辺。
死亡者は出なかったけれど、本物の敵には逃げられてしまったそうです。
■伊東甲子太郎殉難の地

慶応3年11月18日夜、伊東甲子太郎を近藤勇の妾宅で飲ませ、
帰路待ち伏せた新選組隊士が暗殺しました。物陰から槍で突かれた伊東は、
深手を追い北に数メートル行った本光寺門前で絶命しました。
新選組は伊東の亡骸を駕籠に乗せ油小路七条の辻に放置しました。
■四条油小路

油小路の変。伊東の死体を引き取りに来た御陵衛士と新選組の斬りあいがありました。
この戦いで御陵衛士の藤堂、服部、毛内が死亡。
悲しい顛末は新選組小説のやま場のひとつです。
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by RinnaR
| 2011-12-23 23:39
| REAL