新選組東京巡礼記2011冬

秋くらいから幕末史にはまっております。
と言っても、俄かに発病した訳でなく、生涯何度目かの新選組ブーム。
そもそもの切っ掛けが土方追悼にかこつけた函館旅行からこちら
まぁ所謂、アニメとかの聖地巡礼と違って本当に歴史的な聖地であるわけで

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やる夫で学ぶ新撰組(完結)




■山口家跡(伝斎藤一生家) 九段下
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当初は板橋から攻めようと思ってたのですが、電車の乗り換えの都合で急遽先に消化
場所自体はそこそこ知った所でしたので、すぐ特定
すぐ隣には水路にかかる橋があってそこを渡ればすぐ大久保道場がありました。

■大久保道場跡
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若き山南さんが若いころ修行を積んでいたと言われている大久保道場跡は
山口家跡から100mも離れていない場所にあります。
ここから試衛館までの方角を考えてみたり。

■北辰社牧場跡
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ぶらぶら歩いていたら、こんなものを見つけました。
明治政府に赦免された榎本と大鳥が共同で牧場を開いた跡地
日本の酪農のの先駆けとして最盛期は50頭の乳牛がいたそうです。
彼らのおかげで今こんなに牛乳が普及したわけですね。

■松井ツネ生家・鈴木重備邸
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近藤の嫁様の実家がこのへんだと言われています。
間1軒挟んで並びの手前のほうが山口家(斎藤一)主家と伝わる鈴木家の邸宅跡。

飯田橋駅まで徒歩でいろいろ眺めながら
ここから電車移動

■板橋:寿徳寺境外墓地
近藤が斬首されたのは中山道の一里塚というので
おそらくこの辺かなーと眺めてきました
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梟首は京で晒されて盗まれたと伝わっていますが
胴体のほうは現在の板橋墓所に一時埋葬されました。
その後掘り起こされ菩提寺の竜源寺に葬られたと言われています。
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この墓所自体は、生き残った永倉が発起人で
墓碑には土方と近藤の戒名、裏面に命日、側面には隊士の名が刻んであります。
傍らに永倉自身の墓(分骨墓)もあります。

飯田橋まで取って返し、乗り換えの時に再び飯田橋探索

■坪内道場
朝、見忘れてちょと心残りだった、坪内道場。
周囲では大規模な工事が行われていて、うろつきずらい雰囲気でしたが^^;
いい所にメトロの古地図が!
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それで再度確認してみたらやはり母校の超近所でした。
ここは若き日の永倉、島田が通った道場です。
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都営大江戸線で牛込柳町へ

■試衛館
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近藤が養子になり跡を継いだ道場です。
かなり迷子になったついでに周囲をいろいろ見て回りました
表千家のお宅や茶器の販売店があってシックな雰囲気
この辺りが甲良屋敷と呼ばれていた周辺で
丁度、現在の道の突き当たりに標識と階段がありました(これは大河のセットでも使ってましたね)。

都営線で春日へ

■傳通院
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写真では明るめに写っていますが、とっくに薄暗闇でした。
そんなわけで境内は断念。表門は工事中でした。
浪士組が京へ行くのに集合したのがここ
あと浪士組が江戸へ取って返した後に、
佐々木只三郎に斬られた清河の墓所もここです。

■藤田五郎家跡・山口家跡
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晩年の斎藤一が暮らした家があるといわれているのがこのあたり
多分だけど地番的に道路になっちゃってるんじゃないかなーと
思いつつ近くを散策してました。
向かい側が、飯田橋から越してきた山口家があったと言われる周辺


史跡を巡るのと違って、こういった時間軸だけを追い求めるような巡礼は
一人旅に限るなぁと思うのです。
ぐるぐる迷って、自分で納得する場所を見つけて
自己満足な思いと感慨を抱くだあけの手遊びであるのです。
でも足がいてーー!!
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by RinnaR | 2011-12-14 21:37 | REAL | Comments(0)